社会からドロップキック食らった!

いろいろつらい毎日にドロップキック!

お先は真っ暗?それとも明るい?

今回の記事では、どうして精神障害をもつと社会活動が難しくなるのかについて話していこうと思います。

 

そもそも精神障害になるとどうして社会活動が難しいと言われると思いますか?

医師からも慎重に動くように言われることもあります。

それはどうしてなんでしょうか。

病気だから?

障害だから?

気になるところですよね。

私が実際に体験して感じたことを素直に伝えるならこうですね。

見た目は健康な人と変わらないからです。

どうして見た目が健康な人と変わらないと社会活動が難しいのかお話していきますね。

 

 

見ただけではわからない

見た目で判断できる病気ではないことが社会活動の壁として立ちはだかります。

常につらさを抱えていることも多い病気です。

なのに見た目は健康に見えてしまうこともあります。

そのせいで共感を得るどころか、さぼりなのではと反感を得ることもあるのです。

専門医ですら慎重にならざるを得ないくらい、人によって症状は全く違います。

同じく軽度のうつ病と診断を受けたとしても、社会活動にすぐ復帰できる人もいればできない人もいるのです。

では見ただけではわからないということはどんな弊害を生むのでしょうか。

 

共感を得られない

共感を得られないということは、自分がどんなに辛くても相手にはわかってもらえないということです。

仕事ができないくらいつらい状態なのに、相手からしてみればそんな風には見えていないんです。

そうなると、認識にずれが生まれますよね?

そこから最悪な場合は自分の評価が下がっていってしまうこともあります。

だって、相手から見た自分は問題がないのに仕事ができていなかったり、家事ができていなかったりするんですからね。

 

圧倒的理解不足、支援不足

見た目が健康な人と変わらないということは周囲の理解を阻む壁になることがあります。

この病気の理解度は日本社会全体を見ても低いと思います。

理解度は低いのに患者数は年々増えていく一方なのです。

理解が低いということは支援方法も確立されないということなります。

国の支援も万全ではありません。

民間の支援は国よりは柔軟ではありますがまだまだ後発的なもので本当に助けとなる支援の輪は少ないと言えます。

無いわけではない、ということがいくらか救いになるでしょうか?

私はならないと思います。

私を含めた支援を求めている人たちはすぐにでも行動したいのです。

ですがクリニックは3ヵ月待ち、精神障害に対する保険なんてものはありませんし、就労支援もまだまだ不足しています。

不足したまま患者数だけが増えていけばどうなるかなんて言うまでもありません。

 

言葉にすることが難しい

実はこの病気には見た目で判断すること以上に難しいと思うことがあります。

それは、自分の状況や状態を相手に言葉で伝えることです。

自分のことは自分が一番わかっていると言われるかもしれません。

ですが、そういう問題ではないのです。

例えば私の症状を例にあげましょうか。

  • 一人でいる時にどうしてだか急に泣きそうになるまたは泣いてしまう
  • 先のことを考えると不安になり、過呼吸を起こしそうになる
  • 不安になるとその場に座り込んで動けなくなる

全て私が実際に持っている不安障害と気分障害の併発した状態の症状です。

この症状を説明しようとしてまず一つ目の壁にぶつかります。

なぜ、そうなるのかわからないんです。

何がそうさせるのか全く分かりません。

そして何より、どう言葉にしていいのかわからないのです。

不安のせいでこうなった、としか言えません。

どうしたらいいのかもわかりません。

今の私は自分をできる限り客観視するトレーニングをしているのでこうしてブログ上では文章という形で相手に伝わるだろう言葉を選んでいます。

ですが、主観だけで話すと三つとも全部「どうしようもないくらい不安だ!どうしたらいいの?」って状態です。

不安すぎて体調不良になったと言えばまとまっているでしょうか?

それぞれの症状をありのままに話すことはできるかもしれませんが、その症状を読み解いて今の自分の状態がどうであるのかまでは話せる気がしません。

それくらいこの病気は言葉にして誰かに説明するのが難しいんです。

 

社会活動では不利な立場

次にお話しするのは精神障害者の立場ですね。

身体障碍者の方と同じでは、もちろんありませんよね?

精神障害を抱えている人たちは敢えて言えば健常者と障碍者の境界線上にいるあいまいな立場です。

障害手帳を取得する場合もあれば、取得しない場合もあります。

ですが、診断の結果はすべて一様に同じような病名なんです。

そうなると、会社ではどれくらいのレベルの精神障害かなんてわかりませんよね?

なので、現在ハローワークなどにあるみどりの窓口で斡旋のある障碍者雇用はほとんどが障碍者手帳を取得された方向けのものになります。

手帳を持っていない人は、みどりの窓口よりも通常窓口においてある職業案内を探した方が早いくらいです。

実はそこには一つの抜け穴があります。

これってあまり言いたくはないのですが、軽度の精神障害を持っている場合は健常者の方とほぼ変わらない活動ができる人もいます。

そういった人たちはそもそももともとの会社を辞めることはないでしょう。

静養するために一度会社を辞めてしまった方も中に入るかもしれません。

そういった人の多くは自分の精神障害のことを言わずに新たな会社へと入社していきます。

そうしないと現状の日本では働き口がないのです。

それくらい、精神障害を持つ私たちの社会的立場は弱いものです。

会社もきわめて体調管理がデリケートな精神障害を持つ人よりも、健常者の方や精神障害を隠し通せるだけのメンタリティを持った人を雇用したいものですから。

 

支援の輪は少しずつ広がっている

snabi.jp

ここまではマイナスな部分ばかりお話してきました。

しかし、決して支援の輪が後退しているわけではありません。

通常雇用の枠内であっても、主治医の意見書があれば自身の病名をオープン(公開)にして応募できるようになってきています。

もちろん、断られる可能性が上がることもあります。

ですが、病名をオープンにして応募したうえで雇用成立した場合の安心感は相当なものです。

雇用主は自分が見た目ではわかりにくい病気であることを知ったうえで雇ってくれているんだと思うと、私はかなり気が楽です。

普通の人のふりを一生懸命しなくていいわけですから。

そして、就労支援事業所のB型と呼ばれるものも出てきました。

就労継続支援B型は、障害や年齢、体力などの理由で雇用契約を結んで働くことが困難な人が、就労の機会を得たり、就労に必要な知識や能力の向上のために就労訓練を受けたりすることができる障害福祉サービスです。

就労支援事務所の中でも長期的に支援をすることを目的にした事務所が出てきています。

特に私のような病状の人にとってはありがたいことです。

長期的に治療を続けていかなければならない上に、治療の途中で新しい症状に悩まされたり、急転直下で体調が悪くなったりするものですから。

短期間で就労を目指す従来型の就労支援事務所にはなかなか挑戦しようと思えなかったのです。

 

まとめ

私のような精神障害を持つ人にとって社会活動というのは普通の人と常に比べられ、そして普通であることを求められるもの。

ですが、私は普通であることが難しい病気なのです。

全ての言い訳に病気を使うつもりはありませんし、こうして自分で自分を見つめなおして文章に起こすことで少しでも症状が悪化しないようにしています。

努力を怠れば、すぐに悪くなる病気なのです。

社会活動においてはやはり足かせになることばかりの病気ではあります。

未だに完治する病気でもありません。

急に落ち込んだ体調をすぐに良くする薬もありません。

ですが、少しずつ社会がこの病気を知って、苦しんでいる人がいることを知っていくでしょう。

そうすれば、一歩ずつでも支援の輪は広がるはずです。

必要な支援が、必要としている人に届くように祈るばかりです。

私は自分の未来が明るいものであると信じたいです。

そして明るい未来のためにできることを精一杯努力したいと思っています。

さあ、少ししんみりしてしまいましたが、次回は精神障害の薬を飲むとどうなるのかについてお話ししようと思います。

それではまた次回、お会いしましょう。